キューピッド


「どうぞ」

「お邪魔します」

(虎丞、、、、いないのか)

家に虎丞はいなかった。

タオルを出して、温かいお茶をいれる。

「泥水じゃなくてよかった」

家の灯りで見ると思ったよりも派手に水を被っていた。

服のサイズとしては虎丞のほうが合うだろうが
さすがに断り無しで引っ張り出すこともできまい。

「俺の服でよければ使ってください」

「え、いいですよ、そこまでは」

「濡れたままでは体を冷やすでしょう。
 外ではよく見えなかったけれど
 けっこうな量跳ね上げたみたいですね」

「大丈夫、くしゅん」

「ほら」

小さく、くすりと落ちた。

「用意するから、待ってて」

「すみません」

部屋を移る絽帆を見送り、キュリオはカップを取った。

「こっちで知らない人の家に上がるなんて思わなかった。
 だからって、向こう側がどうこうまではならなだろうけど」

後日改めてのお礼はしたいが、関わるのはそこまで。

万一自分と関わった事で、向こうからの干渉が
キエヌの”人”に及べば取り返しがつかないのだから。

カップを空けたところで絽帆が戻った。

「これ、使ってください。他に誰もいないから
 近い部屋で着替えてもらっていいですよ」

「ありがとうございます」

受取り部屋を出た。

手早く終わらせリビングに戻る。

「あの、何でもいいんですけど袋一枚もらえますか。
 捨てていい物でかまわないので」

「簡単に洗っておきましょうか」

「いいです。ほんとにこれ以上は」

慌てた様子のキュリオに
過ぎる親切はかえって気を遣わせるかと
絽帆が引いた。

「ちょっと待ってください」

ためてあった買い物袋から一枚抜いて渡す。

「これを。あとは捨ててもらっていいですよ」

「はい」

受け取ったそれに着ていた服を入れた。

「本当にありがとうございました」

「どういたしまして」

「失礼します」

「気をつけて」

「はい」

行儀よく一礼をし、キュリオはこの家をあとにした。









「え、、、、誰」

知らない誰かが家から出てきた。

小さな荷物を持ち、そのまま夜の闇に消えていく。

仕事の相手だろうか。

家でとは聞いていないが、流れで連れてきたとしてもおかしい話ではない。

しかし、不安は疑問を産み出してしまう。

「絽帆、、、、」

虎丞は家に入った。


「お帰り」

「ああ、出てたのか」

「白竜さんの店で食べてきた」

「そうか」

「絽帆は」

「ん?」

「食事」

「こっちも外で終わらせたよ」

「遅くなるっていってたわりには、早かったね」

「思いのほか、すんなりまとまったからな。
 そのまま仕事相手と食事して別れた」

(じゃあ、さっきの人は)

絽帆の言葉通りなら、仕事相手とは違う。

もちろん、自分の知らない人づきあいがあるのは
当然だろうが、一度抱いた疑問は悪い方に転がった。

(気になる人とか、、、別に友人だっているよね)

そう考えるほど、深みにはまりそうな気がした。

「あ、あのさ」

「どうした」

「、、、、、」

家から出てきたのは誰かと訊いたら
どんな答えが返るのだろう。

友人と会った。絽帆に対しての客。それとも。

そのままの言葉で訊くことができない。

出てきた言葉は。

「誰か来てたの?玄関、ちゃんと閉まってなかったけど」

「いや、、、閉め忘れたかな」

絽帆は否定した。

虎丞がキュリオを見ていたなど知るはずもなく
説明をするのも面倒になってしまった。

結果、虎丞の不安ともどかしさは膨張した。

(僕には言えない相手なんだ)

いられると思った。ここに。

だが積み上げた砂の一角が崩れるように揺れる。

「虎丞?どうした」

「、、、、別に。先に休むね」

「ああ。お休み」

すれ違い始めた想いが、背を向けて歩き出そうとしていた。





「ただいま」

「お帰りなさい」

出た時とは違う服。

まして大きさの合わないそれに、シャルミラは首を傾けた。

「どうしました。キュリオ」

「馬車に水跳ね上げられちゃって。
 近くに住んでる人が、服貸してくれたんだ」

「怪我はしていませんか」

「それはないよ、大丈夫。着替えてくるね」

そのまま部屋を素通りし、自分の服に着替えて戻った。

「あの服を返す時に、小さなお菓子とか
 一緒に渡したいんだけど、いいよね」

「ええ。感謝の心を伝えるのは礼儀正しい行いです」

「向こう側は、僕たちのこともう放っておくつもりかな?」

「、、、、、」

「少しだけ思った。僕たちは
 キエヌの”人”に何処まで関わっていいんだろうって」

同時に並行して存在する世界。

今自分たちがいるこの世界と並ぶ、もう1つの世界には
背に翼を宿す命が生きる。

キュリオとシャルミラは、元々向こうの住人だ。

いくつかの事情が重なり
キュリオは向こう側で生きることが出来なくなった。

そんなキュリオに手を差し伸べたのがシャルミラ。

今はキエヌを生きる場所としている。

「原則、ここで生まれた”人”に
 向こうの存在を知られることは好ましくありません。
 けれど現実は、私たちのように移り住んだ有翼もいます。
 翼を出さなければ、姿形は変わらない」

「うん」

「私たちから翼を持っていると公言しなければ
 あまり神経質にならなくても、大丈夫でしょう」

「そうだね。今日会った人だって
 もしかしたら向こうで生きてたかもしれない」

「ええ。そして大切なのは
 何処でどんな生き方をするとしても
 己を生かしてくれる全てに
 感謝を忘れないことだと思います」

「うん」

軽く開けた窓から風が流れてくる。

町の賑わいも、この森までは届かない。

「いつものお店、今日お休みだったんだ。
 明日はいつも通り営業みたいだから、行ってみるね」

「お願いします」

静かな優しい夜。

ゆっくりと2人だけの時間が過ぎていった。









   BACK   NEXT