ささやき


家に戻ってからの話は、紅響のことになった。

「前に会ったことあるのか?」

「今日が初めてよ。
 いつものジャムを買おうとしたら売り切れだったの。
 すぐ前に紅響さんが買ってて
 紅響さんの方から、よければお持ちくださいって」

「随分気前がいいんだな」

「とても丁寧な人だし、舞夢殿なんて呼ばれ方初めてだわ。
 どこの出身なのかしら」

(向こう側かもな)

凪は遠いかつての自分を思った。

夢の中で見たもう一人の凪。

その凪が名付け親だった風響。

一度生を終えた命がまた別の場所で目覚め
枝分かれした道の先で再び出会う。

魂の営みは、切れ目のない環のように
世界を繋げているのかもしれない。

「まだまだ知らない場所がある。世界は広いってことさ」

「そうね」

「それにしても、あんな傷だったとはな」

フィエラから片目に傷があるとは聞いていたものの
程度までは考えていなかった。

存在は認識のうえだから、あからさまな驚きはないが
縦に大きく残る傷跡は、やはり強く印象に残る。

「辛い目にあってるんでしょう。
 だから、あんな風に気づかいができるのかもしれないわ。
 逆に、辛い目に合って人を信じられなくなる場合もあるけどね」

「何処が分かれ目なんだろう。それって」

「立ち上がろうとした時
 支えてくれる人がいるかどうかだと思うわよ。
 一人では難しく思えても
 手を差し伸べてくれる誰かがいれば
 前へ進むことができる。きっと」

傍らに誰かがいてくれる。

それだけで、不思議と人は温かくなれるものだから。

「お菓子もおいしっていってくれたし
 また作っておすそ分けしましょう」

(姉さん、気になってるのかな)

楽しそうにレシピを考える舞夢を
凪は複雑な気持ちで見ていた。







同じ日の夜。

「え、凪と舞夢さんに?」

「はい」

紅響も、凪と舞夢に会ったことをフィエラに伝えた。

「同じお店でお会いしました。
 お菓子のお礼も伝えられましたし、よかったです」

「そっか、お互い話の中で名前は出してるけど
 会ったこと無かったもんね。傷のこと、聞かれた?」

「いえ、そこまでは。
 立ち話で、そう長い時間でもありませんでしたから」

話しこんだとしても、凪と舞夢なら話したがらないことを
聞こうとはしないだろう。

もちろんフィエラとて、無理にとはいわないが
気にならないかといえば、それも違う。

「2人のこと、いつものように呼んだの?」

「いつも、、、ええ、同じように凪殿、舞夢殿ですが
 失礼でしたでしょうか」

「そうじゃないけど、驚いたんじゃないかなって。
 その呼び方、キエヌじゃあまり聞かないから。
 ほんと、紅響のいた所って別世界みたい」

「道は繋がっていても、知りえるかどうかは別の話です。
 わたくしとて、あのまま里にいれば
 キエヌを知ることはなかったでしょう。
 里はもう、、、様変わりしているだろうけれど」

「紅響、、、、」

里を出たあの日は鮮明に記憶にある。

危ういながらも和平を保っていた糸が切れ
片目は光を失った。

里で生きていた日々の中、楽しいこともあったはずなのに
あの日の記憶はそれを覆い隠してしまう。

「今となっては、すでにわたくしが生きる場所ではないのです」

「でも、故郷でしょう。
 もしかしたら、紅響を待ってる人がいるかもしれないって
 ふと思わなくもないんだ。ほんとは」

「フィエラ、、、、」

知りたい。

けれど、辛い思いしか残っていないのなら
傷つけてしまうかもしれない。

反対の位置にある両方を、フィエラは覚えていた。

だからだろうか。こう言ってしまったのは。

「もし戻れるようになって、戻りたくなったら」

「そのお心だけで十分です」

いつの間にか隣に座っていた紅響は
言葉の途中で返した。

「ありがとうフィエラ。
 昔のことを話せる時がきたら
 その時は誰よりも早くフィエラに伝えます」

本当のことを告げるのは別れの日かもしれない。

それでも、今の紅響が伝えられる精一杯の言葉だった。

「うん。あ、紅響といるのが嫌とかじゃないからね」

「はい」

今を変えたくないと思うのだから
素直に受け入れればいい。

歩いた先で道が分かれたとしても
素敵な優しい思い出に変えられる今ならば
その時は笑顔を見せられるはずだから。

「買ってきてくれたシロップ漬、食べようか」

「ええ、あけてみましょう」

何気ない当たり前の日常。

何よりも大切なものを、2人は心で抱きしめた。










数日後のローゼンタ。

「あ」

「どうした、フィエラ」

「青が無くなりそうだから取ってくるね」

量の減った塗料を取りに、フィエラは資材置き場に向かった。


入ると別の誰かがいた。フィエラの足音に振り返る。

男は塗料の瓶が並ぶ前にいた。

「塗料ですか?」

同じものを取りにきたのなら
任せてもいいかと思い声をかけた。

だが、男は否定した。

「いや、違うよ。お先に」

簡単に答え、フィエラの脇を抜けた。

男は何も持っていなかった。

取りにきたのではなく置きにきたのか。

そう思い、フィエラは青の塗料の瓶を開けた。

「あれ、開いてる。今の人?」

傍にある、別の瓶の蓋が開いていた。

いや、空いているというより
ずれているといったほうが正しいだろう。

それは艶出しに使うものだった。

締め直そうと蓋に手を掛けた。すると

「この匂い、、、、、」

この塗料が持つ独特の匂いのほかに
別の匂いを感じた。

フィエラは、どこか覚えがあるような気がした。

「何だっけ、、、、。知ってるような気がする」

けれど何処でだったか、何時だか思い出せない。

改めて周囲の様子を見ると、資材置き場全体に感じる。

だが、それ以上はわからなかった。





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