回顧録
悠夜、珂晶の昔話です。
テキストのみで写真はありません。
「どうした。随分おとなしくなったな」
「この刻印を与えたのはあなた。刻印を背負う者は、主につき従うだけが役目なのでしょう」
珂晶の背に彫りこまれた刻印。それは誰かの所有物である証だった。
主の命につき従うだけが役目。その命令がどんな理不尽であろうが、逆らうことなど許されない隷属という運命。
それが”刻印を背負う者”である。
「聞き分けがよすぎるのもつまらん。
もっとも、私を殺してここを逃げ出したところで、刻印を背負う者を受け入れるお人よしもいないだろうがな」
薄絹一枚の珂晶を抱き寄せる。見え隠れする体の線をなぞった。
珂晶の腕が男の背に回る。そして、、、、、
「ぐ!」
声を上げたのは男のほう。喉元に、深く珂晶の牙が食い込んでいた。
「、、、、ようやく、その気になったか。お前の手にかかるのもよかろう。いや、、、それが望みにもなっていた」
「狂ってる、、、、」
「そうさせたのもお前だ。さあ、、、ぐあっっ!う、、、」
「、、、、、、私が、、、」
男の悲鳴を聞きつけた数人が部屋に走りこんできた。見たものは、牙を朱に染めた珂晶と珂晶の足元に倒れている主だった。
「何を驚く。私は鬼だ」
一斉に構える。
「手加減はしない」
男たちを振り切り、傷だらけになりながら珂晶は歩いた。いや、その感覚さえも確かなものではない。
目の前が揺れる。それでも歩いていた。今の珂晶を動かしているのは魅影との約束。ただそれだけ。
「大帝、、、、魅影様、、、」
歩き続け町を超え、いつしかサルバスに入っていた。
人と物が交差する町、サルバス。地方と中央を結ぶ宿場町でもあるため、いつでも賑やかだった。
この町に住む悠夜は、仕事を終えていつもどおりの道を歩いていた。
「すこし遅くなったかな」
空はすでに夜の色。悠夜は少しだけ足を速める。
「おや、今帰りですか」
そう声をかけたてきたのは友人のシェスタ。
旅から旅のきままな暮らしで、今はこの町の酒場で歌っている。自称”吟遊詩人”
「ええ、少し遅くなって。シェスタはこれから仕事ですか」
「そんなところです。方角が一緒なのですし、途中までかまいませんか」
「もちろん」
揃って歩き出した。
「サルバスにはいつまで」
「旅の資金がたまったら、また次の町へ行きますよ。決まってはいないけれどね」
「本当に、落ち着くつもりはないんですね」
「まあ、そのうち」
話しながら歩いていると、ふいに悠夜が足を止めた。
「悠夜?」
「あれは、、、」
家の近くのわき道だった。差し込んだ僅かな灯りに、人の影があった。
「ひどい傷、、、しっかり。どうしたんですか」
息はあるが答えは返らない。傷から来る熱だろう。かなり高熱だった。
「どこから来たんだろう。砂とほこりだらけですね」
「とにかく休ませないと。シェスタ、家に運ぶの手伝ってください」
「何処の誰かも、どうしてこうなってるかもわからないのに?」
「そんなのは後でしょう。ほおっておけるわけないじゃないですか」
「人がいいのだから、本当に」
そう言いながらも、2人で運び込んでベットに寝かせた。
「、、、、それで、どうするんです」
「目が覚めるまではこのままで。ありがとう、シェスタ」
「仕事がおわったらまた寄ります。身元だけはしっかり聞き出しなさいね」
最後の念押しだけはしっかりとして、シェスタは酒場へと向かった。
「着替えさせたほうがいいな。それに体も拭かないと。本当に、、、いったい何処から」
かなりくたびれた服を脱がせ、お湯で体を拭った。と、飛び込んできたのは背中に咲いている大輪の華。
「これは、、、、刻印?」
”刻印を背負う者”。それがどんな意味をもつのかは、悠夜でも知っている。
主に対する絶対の服従。それが運命。そして主からの逃亡は、何よりの重罪だ。
ましてこのサルバスは、刻印を背負う者を受け入れていない。町の治安警護部隊に見つかれば、無傷ではすまない。
当人はもちろん、匿った自分も。
「、、、逃げ出してきたのか」
「う、、、ん、、あ、、」
眠ったまま、うなされていた。悠夜はそっと手を取る。
「刻印なんて、、、そんなもののほうが間違ってるんだ。大丈夫ですよ。安心して」
それが届いたのが、スッと息が楽になった。とりあえず着替えを終わらせ、冷たい水で熱を取る。
「、、、大丈夫ですからね」
悠夜は何度も繰り返していた。
「どうです」
その日を仕事を終えたシェスタは、先の言葉どおり様子を見に悠夜の家に寄った。
「まだ、目は覚めません。傷が傷だから、時間がかかるかもしれない」
「役人に任せてしまったら?」
「私が拾ったのだから、せめて目が覚めるまでは面倒をみますよ」
「ま、性格はわかっているつもりですけどね。何かあったら、知らせてくださいよ」
「ええ、、、ありがとう」
刻印のことは伏せたまま、それから2日がたった。
「んっ、、、、え、、、ここ、、」
「気がつきましたか」
「、、、、あの、、」
「あなた、家の近くで倒れていたんですよ。私は悠夜といいます。いくらかは楽になりましたか?」
「私、、、私は、、、、」
「、、、、名前だけでも」
逃げ出してきたのなら、そう簡単に名乗りはしないだろう。そう思い、悠夜は警戒させないよう慎重に訊いた。
「いっ、、つ、、、」
「大丈夫。あなたを役人に突き出したりしないから」
「、、、、ここは、、、、あの、私は、、、私は、、、誰、、、」
「、、、、、」
思い出そうとした。今までのことを、何をしていたのかを。だが、、、、何一つわからない。
今目覚めた赤子のように。
「、、、、わからないと?何も?」
「、、、、、本当なんです。嘘じゃない。思い出そうとしても、、、、あ、、」
耳の奥で声がした。珂晶と。呼ばれているような、そんな声。
「珂晶と、、、呼ばれた気がした」
「珂晶、、、それが名前なのかな。では、、、刻印のことは?」
「刻印?、、、、、何のことですか」
見返した珂晶が、嘘をついているようには思えなかった。
刻印を隠したいがための嘘にしても、その背中が何よりの証。つきとおせるはずもない。
「あなたの背中には、華の彫り物があります。それは”刻印を背負う者”としての証。本当に、覚えていないの?」
「本当です。信じて。何も、、、何も知らない」
珂晶は悠夜に必死ですがった。
「刻印は誰かの所有物である証。そして、主の命に絶対服従が掟です。
その命令がどんな理不尽なものであっても、隷属的に付き従うのが定め。
、、、、最悪、物としてしか扱われなくても、それは罪にはならない。逆に主からの逃亡は重罪とされている」
「それが、、、、私?」
「おそらく、逃げてきたのでしょうね。傷だらけで砂とほこりまみれだった。
何も覚えていないのは、ひどい高熱が長引いたからかもしれない」
「、、、、、あの、役人には渡さないと言いましたよね」
「ええ。刻印のことも黙っていますから安心して」
「では、、、あなたのものにしてください」
「珂晶、、、、」
「だって、刻印は誰かの所有物なのでしょう?
存在する意味がそれしかないのなら、主がいない刻印はどうすればいんですか?」
「あなたはその主から逃げてきた。おそらくね。また戻ることはありません」
「でも、、、何もわからないのに」
「珂晶、落ち着いて。主従ではなく友人になりましょう」
「友人、、、、」
「そうです」
「、、、本気なんですか?何処の誰かも、何をしていたのかもわからない相手と?」
「それは、わかったときに考えますよ」
「、、、、、(この人、そんなに簡単に他人を信じていいんだろうか)」
珂晶のほうが別の意味で不安を覚える。悠夜をだまそうと思ったら、それは簡単なことのような気がした。
悠夜は珂晶をそっと抱き寄せた。
「誰かのものになんて考えなくていい。刻印は消せないけれど、そんなもの意味があるとは思っていません」
「悠夜、、、、」
あたたかい腕の中。その感覚だけを珂晶は信じようと思った。