空白を超えて


湖の向こう側。泡沫の中心都市キエヌ。

特に目的とするものがあるわけではなく
店先を眺めながら、のんびりと歩く。

「賑やかな町ですね」

「キエヌには人と物が集まってくる。
 この時間は、特に賑わうわ」

休日ということもあり、通りは多くの人が行き交っていた。

「あ」

「どうしました」

イレーネが足を止めたのは、花屋の前だった。

店主から声が掛かる。

「こんにちは。久しぶりだね」

「こんにちは。タチアス入ったんですね」

「今年の初物だよ。持ってくかい」

「お願いします」

「ちょっと待ってね」

店主は淡いピンクとオレンジ色の花を束ね始めた。

「この花が好きなのですか?」

「ええ。出回る時期が短いから
 手に入らないことのほうが多いの。よかった」

(タチアス、、、、マスターの好きな花)

イシュトは姿形を記憶に留める。

「素敵なお連れさんだね」

「イシュトと申します」

「イシュトさんか。イレーネさんのいい人かい?」

「いい人?」

「ち、違うわよ。そういうことじゃ」

イシュトは意味がわからず首を捻り、イリーナは焦った。

「別に照れなくてもいいじゃないの。お似合いだよ」

「もう、、、、」

下手に返しても突っ込まれるだけだ。

イレーネはふいと横を向き、仕上がりを待った。



 

「あの、、、イレーネ」

「いい人って、、、、あたしは」

「イレーネ」

「え、あ、ごめんね。何」

花束を受け取った後の帰り道。

イレーネは、どこか上の空だった。

「先ほどの方が仰っていた、いい人というのは
 どういう意味なのですか?」

「あれは、、、えっと、あの、、、、、
 イシュト、恋ってどんな感情だかわかる?」

「いえ、どういうことなのでしょう?」

(恋を説明しろって言われても、、、、、)

理屈で説明できる感情ではない。

それに説明したとして
イシュトが恋をしていると言ったら、その時自分は?

「理屈で説明できるものじゃないの。
 それに、誤解されても困るし」

(私には、まだ必要ないこと)

必要ならば、イレーネが教えてくれる。

イシュトは、こう解釈した。

それはイシュトの、イレーネに対する信頼でもあった。

「わかりました。
 それが私に必要になった時には教えてください」

「イシュト、、、、」

喜びを知り悲しみを知り、いつかは恋も知るだろう。

そして、誰かのためではなく
自分のために生きる道を見つける。

それがイシュトのためだと思い、イレーネも望んだこと。

なのに違う何かを、イレーネは己に感じていた。

「行ってくるわね」

「お気をつけて」

城に向かうイレーネを送り出したイシュトは
テーブルを片付け始めた。

だが、ふと手が止まる。

「イレーネ、、、どうしたのだろう」

あれからイレーネは元気がない。

時折、何かを考えるように黙り込むこともある。

だが、それとなく訊いてみても
何でもないとしか返ってこなかった。

話せないことならば
イレーネを元気づけるにはどうしたらいいのだろう。

笑顔が見られないのは寂しい。

「イレーネの好きなもの、、、、、そうだ、花なら」

イシュトはタチアスの花を思い出した。

好きなものを贈れば、笑ってくれるかもしれない。

「行ってみよう」

イシュトは止めた手を動かし始めた。

  

「取り急ぎの案件はなさそうでうね。わかりました」

イレーネからの定例報告を受け
シェスタは手元の書類をまとめた。

真面目で几帳面な性格そのままに、きっちりと封をし
所定の位置に収める。

「ところでイレーネ、話は違いますが」

「はい」

「イシュトはどうしていますか。
 困るようなことが起きていなければいいけれど」

「、、、、大丈夫です」

答える直前の間を、シェスタは見逃さなかった。

「浮かない顔ですよ」

「シェスタ様」

「まだまだ手探り状態でしょう。私で相談に乗れることならば
 いつでも言ってくれてかまいませんからね」

シェスタの言葉に、ふと心が緩んだ。

天を仰ぎ大きく息をつく。

シェスタは、そこからイレーネの気の張りようを
敏感に感じ取る。

「温かいお茶でもいれましょう」

「ありがとうございます」

言葉少なくとも伝わる優しさが、そっとイレーネを包んだ。
 

シェスタと共にひと時を過ごし、イレーネは家に戻った。

「ただいま。イシュト?」

イシュトの姿はなかった。

イレーネは行き先がわかるものがないか、あたりを見回す。

一人で出かけるにしても
行き先のメモくらい置いていかないだろうか。

だが、それらしい物は無かった。

「どこに、、、、」

目的のない散策とは思えない。

ならば考えられる場所は、目的は?

「訊きながらのほうが早いわね」

イレーネは外に出ると風の精霊を呼んだ。

「応えて。訊きたいことがあるの」

ほどなく風の精霊が応じた。

「どうしたの」

「私がいない間に男の人が出で行ったと思うけど
 誰か見てない?」

「男の人ね。ちょっと待って」

精霊は周回し、他の精霊にも呼びかける。

しばらくすると、イレーネの目の前に戻ってきた。

「確かに出ていった人がいるって」

「どっちに行ったかわかる?」

「方向はあっちね」

精霊が指し示したのは、キエヌへ続く門がある方向だ。

「(キエヌ、、、、?)ありがとう」

イレーネも後を追った。

 
 



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