月影に想う


「ただいま」

「お帰りなさい、フィエラ」

家に入ると、ふわりとお茶の香りがした。

「ちょうどよかった。新しい葉を買ってきたので、入れ替えたところなんです」

着物姿でポットを持つ様も違和感が無くなった。それだけ時間が過ぎたということなのだろう。

「じゃあ、貰ったケーキも切ろうか。紅響は、甘いものって平気?」

「よほど甘すぎなければ」

「大丈夫だと思うよ。切ってくるね」

舞夢から貰ったケーキと新しい葉でティータイム。忙しかった数日がほぐれていく。

「着物で市場を歩いたの?」

「いえ、着替えて行きましたよ。でも帰ってすぐに戻しました。
 こちらのほうが慣れているので、落ち着くんです」

キエヌから町を超えて、更にその先に住んでいたという。

もちろん、フィエラは知らないし、紅響にとってもキエヌは見知らぬ町。

着るものから始まって、建物や習慣も違った。

それでもいられるのは、フィエラが差し出してくれた手があればこそ。

紅響はフィエラの前に立ち、その想いを言葉にする。

「フィエラ、わたくしがこの町にいられるのも貴方がいてくれるからこそ。
 いつかきっと、ご恩返しをさせてくださいね」

「そう言ってくれるだけでいいよ。紅響こそ、知らない町で、って」

「フィエラ?」

「同じこと、毎日言ってる気がする。2人で」

「それは、、、そうですね」

やわらかく2人を包む香りのように、どちらからともなく微笑が浮かんだ。


「紅響、さっきのケーキ焼いてくれた舞夢さんが、家に遊びにおいでって」

「舞夢殿、、、」

「えっと、凪のことはわかるでしょう」

「はい、同じ仕事をなさっているご友人ですよね」

「その凪のお姉さん」

「、、、、、」

「心配しなくてもいいよ。
 知らない町で生きているからこそ、出会いは悪いことじゃないって
 そう言ってくれたんだ」

「しかし、、、」

優しい言葉をかけてくれる相手ほど
巻き込みたくないと願う。

紅響は視線をそらして黙り込んだ。

紅響が他者に対して警戒を持つのは、フィエラもしかたないとは思う。

だからそこ、警戒せずに接することのできる相手が
ひとりでも多くいてほしい。

それがフィエラの願いだった。

「僕以外の人と会っておくのは必要だと思うよ。
 紅響のことを追いかけている人がいるのはわかるけど
 少なくても、凪は違う。そうでしょう」

「、、、ええ」

妖しの里を追われ、このキエヌまで逃げてきた。

長である魅影の、生き延びろとの命のままに。

生き延びるためには、必要なことかもしれない。

万一、このキエヌまで追ってきたその時は、、、。

「また、、、一人で逃げればいい」

「紅響?」

「そうですね、ケーキのお礼も申し上げたいですし。お会いしてみます」

「よかった。いつにしようか」

「わたくしは、いつでもかまいません。皆様のご都合のよろしいときに。
 少しお休みになりますか?ここ数日お忙しかったのですから」

「そうさせてもらおうかな。少し寝ててもいい?」

「そうしてください。夕膳の用意をしております」


その日の夜。

「月は、、、どこから見ても同じ月」

人里の人間に攻め込まれ、散り散りになってからどれくらいが過ぎたのだろう。

妖しの里を捨てて以来、仲間の消息は知れない。

生き延びろと命をだした魅影。側近だった珂晶。

気の強い、真っ直ぐな眼差しをした藤樺。子狐の化身、氷雨。白虎の珀翠。

忘れることなど出来ないあの日は、昨日のように鮮明だった。

「生きて、、、いますよね。きっと、どこかで同じように月を見ている」

月の雫のような涙が一筋、紅響の頬を伝った。



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