


月影に想う
「まだ空が明るい。いいのかな、こんな時間に帰してもらって」
「親方がいいって言うんだから、気にすることないだろう。それに暫くまともに寝てないしな。
1日2日くらい、休ませてもらうのも悪くないさ」
「そうだね。でも、あんなに喜んでもらえると疲れなんか忘れそうだよ」
キエヌの通りを歩く凪とフィエラの心は、よく晴れた空のように清々しいものだった。
家具工房ローゼンタに入った急ぎの依頼。
工房総出でかかったが、特に凪とフィエラは泊り込んだことも少なくない。
その仕事がようやく終わり、依頼人もその出来栄えにとても喜んでいた。
そして、工房の親方が労のねぎらいもかねて特別休暇をくれたのだ。
「フィエラ、これから急ぎの用事ってあるか?」
「特にはないけど」
「姉さんから頼まれてるんだ。家に連れてきてくれって」
「凪、怒らせるようなことしたの?」
「どうしてそこで名前が出るんだよ」
「愚痴を言いたいことでもあるのかなって」
「、、、、、、、、」
凪は姉の舞夢と2人暮らしだった。
その舞夢から、仕事の帰りに連れてきてほしいと頼まれているのだ。
理由は聞いていないが、察しはついている。
「毒見かもしれないぞ」
「何それ。凪、舞夢さんに優しくしてあげてる?
2人だけなんだから、凪が舞夢さんのこと守ってあげなきゃ」
「、、、、、わかってるさ」
たった2人きりの家族。だからこそ、人として生きている今を奪うなと願うのだ。
もちろん、それを2人の前で言葉にはしないが。
そうこう言っているうちに、凪の家に着いた。
「お帰りなさい」
舞夢はリビングでお茶をいれながら2人を迎えた。
「早かったのね」
「急ぎの仕事が片付いたから、親方が早く帰してくれたんだ」
「そう、此処暫く遅かったものね。お疲れ様。フィエラも座って」
「ありがとうございます。舞夢さん、僕に何かあったんですか?」
「おすそわけなの。わざわざ来てもらうのもどうかと思ったんだけど
ずいぶん顔も見ていない気がしたから。少し待ってて」
舞夢は一度席を離れると、手に包みを持って戻った。
「家で焼いたケーキ。そんなに甘くないはずだから」
「凪、、、、さっきの」
「黙っとけ」
凪が言った毒見の意味がわかった。無論、本気でないことも。
「凪、また余計なこと言ったのね」
「別に何も」
「ほんと、凪もフィエラくらい素直だと嬉しいけど」
「だから、言ってないって」
「毒味しに来いって、言ったんじゃないの?」
「、、、冗談だよ。本気で言ったわけじゃ」
「ほら、やっぱり」
くすくすと笑う舞夢に、ふいと横を向く凪。何だかんだ言いながら、仲のよい2人なのだ。
「ありがとうございます。凪、ご飯つくってもらえなくなるよ」
「そしたら、フィエラのとこに行くかな」
「あら、せっかく凪の好きなもの用意してたけど、いいのね」
「だから」
「冗談もあまり多いと、信用なくすわよ」
「ふふ、、、」
3人で顔を見合わせて笑った。
「紅響さん、甘いもの大丈夫かしら」
「どうだろう、、。食べる量自体少ないから。
でも、嫌いとは聞いてないし、大丈夫だと思いますよ」
「紅響ね。フィエラのとこに来てからどれくらいになる?」
「、、、、どれくらいかな」
紅響はフィエラの同居人。
人気の少ない道端で、動かずにただそこに居た。
横目でちらりと見て通り過ぎていく人の中、フィエラが手を差し出したのだ。
聞けば、住んでいた場所を追われ何日も過ぎたのだという。
行く当ても、知る相手もなく何も出来ずに、そこにいた。
そして、一人暮らしだったフィエラと暮らし始め、季節が巡った。
「凪もまだ会ってないのよね」
「ああ」
「あまり外に出たがらないから。でも、初めの頃ほどではないかな」
「よければ一度連れてきて。
そういう事情なら、新しい出会いは悪いことじゃないと思うの」
「そうですね。話してみます」
時計の鐘が鳴った。
「それじゃ、今日はこの辺で。ごちそうさまでした」
「どうしたしまして」
「ちゃんと休めよ」
「凪こそ、お酒と夜遊びはほどほどにね。失礼します」
あっさりとそう言ったフィエラを見送り、凪は苦笑い。
舞夢のほうは笑いを抑えながら、揃って中に入った。
「夕飯のほうにかかろうかしら。できたら呼ぶから、部屋で休んでていいわよ」
「そうさせてもらうかな」
「凪、ローゼンタの職人であること、誇りにしなさいね」
「姉さん、、、」
「あなたたちを見ていたらわかるわ。今の仕事がどれだけ好きで、懸命になってるかってこと。いい顔してるもの」
「、、、、ありがとう」
「お疲れ様」
部屋へ戻り、ベットに体を投げる。
「そう、、、言われなくても守るさ。今はキエヌで生きる人。湖の向こう側は関係ない」
ひとつの仕事を成功させた後の、心地よい疲労感。それに誘われ、眠るまでに時間はかからなかった。