偶然という名の奇跡


          約束の日。ミツルは実家に帰った。

          「ただいま」

          「お帰りなさい」

          ちょうど夕飯時で、テーブルにはできたての食事が並んでいる。

          「父さんはまだなの」

          「ついさっき、帰ったわよ。久しぶりに揃うわね」

          話はその後だろう。

          どことなく楽しげな母の様子に、水を差す気にはならない。

          「大学のほうはどうなの」

          「大して変りもないよ」

          「食事だけは、きちんとしなさいよ」

          「わかってる」

          そのうちに父もリビングに下りてきた。

          親子3人、久しぶりに揃って食卓を囲んだ。


          夕食を終えて一休みした後、本題に入った。

          「父さんの母さんのことなんだが」

          「ばあちゃんの?」

          「ああ。この家で一緒に暮らそうかと思ってるんだ」

          ミツルは初耳だった。

          「時々様子を見には行ってるけど、危なくなってる気がするの。
           もちろん大きな病気はしてないし、頭だってしっかりしてるけどやっぱり年は誤魔化せないでしょう」

          「ミツルはどう思う」

          確かに足元が危ない気はするし、祖母が住んでいる家も古い。

          独り暮らしでは不便なこともでてくるだろう。一緒に住むことに反対はしない。

          「一人よりは一緒のほうが安心だと思うよ。
           話し相手がいれば、それだけでも違いはあるだろうし」

          残りは祖母が頷いてくれるかどうか。

          特段、一人を好んでいるわけではないだろう。

          気がかりがあるとすれば、あの人形だけだ。

          「ばあちゃんには話したのか?」

          「まだこれからよ。それで、夜にでもミツルから声をかけてほしくて」

          「俺が話すってこと?」

          「そうじゃなくて、私たちとはまた違う反応をするかもしれないから
           それとなく様子を見てほしいのよ」

          「そういうことなら、いいよ」

          「ミツルは戻るつもりないんでしょう」

          「しばらくはね。寄れない距離じゃないんだから顔出すようにはするよ。
           こっちで用意しとく物は?買い物あるなら行くけど」

          「取り急ぎはないと思うわ。極力家にある物を使ってもらいましょう」

          「そう。とりあえず、話はわかった」

          「じゃ、明日頼むわね」

          「ああ(あの店、落ち着いたら連れて行ってみるかな)」

          大切な人形とは違うけれど
          もし興味を持ってくれたら待ち続ける苦しさが少しは紛れるかもしれない。

          ミツルはそんなことを思いながら、ガラスの瞳を思い浮かべていた。


          翌日。ミツルは祖母の家に足を向けた。

          「ばあちゃん、いる」

          「ああ、ちょっと待ってな」

          ほどなく玄関が開き、ミツルは中へ入った。

          お茶を入れる祖母の傍らには、やはり空っぽのガラスケース。

          「ばあちゃん、母さんから話聞いた?」

          「聞いたよ」

          こぽこぽとなる音がやたら大きく聞こえる。

          「それで、ばあちゃんとしてはどう」

          「年寄り一人が心配なのはわかるけど、ここを離れるのもね」

          ここを離れるのが嫌なのではなく、ここで人形を待っていたい。

          それが、本当の気持ちだろう。

          「離れるっていっても遠い距離じゃないし、ここの様子を時々見に来るなら俺が付き合うよ」

          「でも、ミツルだって忙しいだろう」

          「大丈夫だって。けっこう優秀なほうなんだよ、俺」

          「ミツル」

          「あのガラスケースだって、持って行けばいい」

          「、、、、、」

          「諦めろっていうつもりはないよ。けど、それだけにはしなくない。
           ただ待つだけじゃなくて、何かをしながら待ってほしいんだ。
           独りだとそればっか考えるだろう。でも、誰かがいれば他の話もできる」

          戻ってほしいと願うからこそ、環境を変えたかった。

          待ち焦がれる気持に押しつぶされてしまう前に。

          「そうさね、、、、少し考えてみるよ」

          「ばあちゃん」

          「ありがとう、ミツル。心配してくれてるのはわかってるから。
           でも、やっぱりすぐにはね。ここには思い出がたくさんある。
           離れるにしても、少しだけ時間が欲しいんだ。
           今まであったこと、みんなこの家が見守ってくれたんだもの」

          過ぎた日々の記憶を懐かしむように目を細めた。

          そんな祖母に、ミツルもこれ以上は言えなかった。

          「わかった。確かに古いもんなこの家。
           ばあちゃんが生きてた分、この家もいろんなこと見てきたんだろうし」

          「そうだよ。みんな知ってる」

          「それじゃ、今日は帰るな」

          「夕飯、どうだい。手の込んだものは無理だけど」

          祖母の手料理など何年振りだろう。ミツルは素直に頷いた。

          「さて、何にしようかね」

          台所に向かう祖母の背中を見ながら、ミツルはまだ幼かった昔を思い出していた。


          祖母が移ったのは一週間後の事だった。もちろん、あのガラスケースを持って。

          「荷物これで終わりだっけ」

          「これで最後」

          祖母は最後にガラスケースを置いた。

          「待ってる人形って、やっぱり日本人形なの?」

          「そうだよ」

          「どんなの?」

          「どんな、、、、確か写真が残っていたはず」

          祖母はカバンを開け、一枚の写真を取りだした。

          「この人形がそう」

          モノクロで色はわからないが
          真っすぐ伸びた髪に着物をまとったイメージ通りの日本人形。

          (巡り巡って、あの店に入るなんてことないよな)

          ミツルはイツキの店の風景を思い浮かべた。

          「ばあちゃんは他の人形に興味あるの?」

          「他の?どんなだい」

          「下宿の近くに人形の店があるんだ。ほんとに人形だけの店。
           日本人形はなかったけど、興味があるならと思って」 

          「西洋人形だね。なくはないけど、今はやめとこうか」

          他の人形に囲まれることが辛いというのなら
          裏を返せば、写真の人形にはそれだけの想いがつまっているということ。

          「その気になったら言ってくれよ。付き合うから。写真ありがとう」

          受け取った祖母は、写真を優しく手におさめた。


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