回顧録U
焔珠と乃亜の昔話です。
テキストのみで写真はありません。
それからというもの、由利亜から預かった原稿を片手に、焔珠は劇場に篭りきりとなった。
客席に座り舞台を見ながらペンを走らせる。由利亜に諦めるなといったものの、状況は厳しかった。
少しでも早く幕が開くように、それだけを考える。そんな、ある日。
「、、さん、、兄さん」
「ん、、、乃亜?」
いつの間にか、乃亜と海人が来ていた。
「寝てたのか、、、ん、、、」
大きく身体を伸ばすと同時にあくびが出る。
「差し入れ持ってきたけど、少し休んだら」
「あまり時間がない」
「よくないのか、彼女」
「ああ、、だけど、幕が上がるまでは諦めないって言ってるんだ。それが終われば、次の幕開きのために頑張れる」
「だけど、そのためにお前が倒れでもしたら逆効果だと思うがな」
「そこまでの無茶はしないさ」
乃亜はがらんとした劇場を見渡す。いつもざわめきに飾られた劇場しか知らない乃亜には、静まり返った劇場が淋しそうに見えた。
「こうして見ると劇場って広いのね。観客のいない劇場って、何だか淋しそう」
「公演のときに観客がいないのはさすがにきついけど、そうじゃないときは落ち着く場所だよ。それに暖かい」
「古い劇場には魂が宿るって、いつか言ってたな」
「まさか、お化けとか」
「それは悪いよ、乃亜」
焔珠は目を細めた。
「この場所は私たちをずっと見てる。泣いて、笑って。幕を開けるために徹夜だって何度もした。
打ち上げもいつもここだしな。だから、、安心できるんだ。ここにいると」
「、、、なんだか妬けるわね」
乃亜が小さく口を尖らせる。
「それって、あたしの知らない兄さんを知ってるってことでしょう」
「別に変わりはしないけど、おい、乃亜」
乃亜は背中から焔珠に抱きつく。ふとよぎった、小さな不安。
「すっごく優しい顔してる。、、、劇場にさらわれないでよ」
「、、大丈夫、、乃亜、何か飲むもの買ってきてくれないか。私はあるから海人と2人分」
「わかった」
乃亜がこの場を離れた。
「焔珠、最近よくない噂を聞くけど、あれ本当なのか?」
「誰かがこの場所を欲しがってるってやつだろう。私も噂としては聞いているけど、それ以上のことはない」
出所のわからない噂。誰かがこの場所を欲しがっていると。
かといって、焔珠に正式な申し出があるわけでもなく、今のところは妨害も無かった。
「相手が誰であれ、渡すつもりは無いけどな」
海人は焔珠の手元にある脚本を覗き込んだ。細かくびっしりと書き込まれたそれは、劇場に対する思いの強さなのだろう。
「あと、どれくらいなんだ」
「最後の一曲。これができれば終わりだ」
「ひと段落ついたら乃亜のことかまってやれよ」
「どうして乃亜が出てくるんだ」
「聞いてるからさ。劇場にかかりきりで、まるで劇場が恋人みたいだって。
いちから自分たちで作った場所で思い入れがあるのはわかるけど、乃亜が淋しがってるよ」
「、、、、、」
「お待たせ」
2人の言葉が切れたところで乃亜が戻る。
「、、、、、どうしたの?難しい顔して」
「いや。乃亜、せっかく持ってきてくれたのに悪いけど、これもって帰るか」
「兄さん?」
「ここ暫く劇場だったから、久しぶりにお前の作った食事がしたいと思ってさ」
「でも、、いいの、、」
「あとは一曲作るだけだから大丈夫だよ」
「兄さん、、、」
あっという間に瞳を潤ませた乃亜は焔珠にしがみついた。
「ありがとう」
「海人も来るか」
「今夜は遠慮しとくよ。久しぶりに甘えるといい」
頬を染めた乃亜の頭をそっと撫でる。
「片付けるから、少し待ってくれ」
手元の脚本を丁寧にしまい、劇場を後にした。あの悲劇がおきたのはその日の夜。