


箱庭
どこからか歌声が流れてくる。
その声に足を止めた人たちで広場の噴水前には人垣が出来ていた。
中心にいるのは歌い手の女と弦楽器を爪弾く男。
褐色の肌に漆黒の髪を持った女はしなやかに歌い踊る。
その姿は黒豹を思わせた。
シャラリと鈴が鳴り歌が終わった。
拍手を送り少しずつ散ってゆく人の中に
画廊{銀月}の店主、瑞樹の姿があった。
店へ戻ろうと向きを変えた瑞樹は、見覚えのある後姿に気がついた。
「紫水」
いたのは紫水。
今の歌い手と同じ、真っ直ぐ伸びた黒髪が目を引く。
「人が集まっていたから来てみたけど、終わった後みたいね」
「踊り子が来てたよ」
「そう」
「また、この町から出て行く誰かがいるのか?」
「いいえ、今のところは。歩いていただけよ」
「急ぎでなければ、お茶でもどうだい。会ったついでで悪いけれど」
「、、、じゃあ、いただいていこうかしら」
「ああ、どうぞ」
紫水。
この<泡沫>から出て行こうとする住人を引き受ける人物と、瑞樹は聞いている。
実際、瑞樹の弟絡瑛を含め知った数人が、紫水の元へ向かったはずだ。
だが、紫水の言葉は謎掛けのようなものが多く、それ以上のことはわからない。
2人で画廊へ戻り、いつものお茶を差し出した。
「ありがとう」
「絡瑛たちは変わりないかい」
「ええ。そう聞いてるわ」
「聞いてる?」
瑞樹は反芻した。
「おかしな言い方をするな。
絡瑛たちは君の所にいるんだろう?」
「私は、この<泡沫>の住人である紫水。
ここと繋がるもうひとつの場所、つまり絡瑛たちがいる
場所には私とは別の紫水がいる」
「ちょ、、ちょっと待ってくれ。
じゃあ、絡瑛たちがこの町を出た時に私が会った紫水は
君とは別だっていうのか?」
絡瑛がこの町を出る時迎えにきた紫水は
確かに今目の前にいる紫水と同じ顔をしている。
瑞樹はゆっくっりと、その時を思い返した。
「この町を出ようとしている住人を引き受ける。
それが君、、いや、紫水だと言った。
絡瑛は君とこの町を出たとばかり思っていたが、、、。
この場所と繋がっている、もう一つの居場所。
夜に包まれた、優しい場所だと言ったよな」
「、、、その言葉を言ったのは、同じに見えても違う紫水ね」
「、、、まったく、紫水の言葉はいつも謎掛ばかりだ」
「紫水は、元は一人だった。
この<泡沫>呼ばれる世界が創世された頃。
紫水が創った時は」
「創った?」
その意味を知ろうとしても、瑞樹は無理なような気がした。
だから黙ることで先を促した。紫水は言葉を続けた。
「そう、元は一人だった。紫水が2つの魂を引き合わせたことで始まった世界。
少しずつ増えていったわ。<泡沫>にも、絡瑛たちがいる場所にも」
「魂っていうのは、ここに生きてる私達のことか?」
「ええ。始めは一人の紫水が行き来をしていたけれど、持たなくなってしまったのよ。
だから、それぞれの場所に紫水を創り役目を分けた。
私はこの<泡沫>を出ようとする魂の送り手。
そして、もうひとつの場所にいる紫水に会わせることが役目よ。
迎え入れるのは、私とは別の紫水の役目」
「、、、その創った紫水は」
「箱庭を見るように、この<泡沫>と別の場所を見続けている。
壊れないように、壊してしまわないように。
<泡沫>は紫水が創り出した箱庭の一部なの。ここで、あなたたちは生きてる。
箱庭が壊れるということは、あなたちも消えることだから」
「創る、、、壊すって、、」
世界が壊れる。眠って目が覚めたら全てが消えている。
そんなことが起こりえるというのだろうか。
いや、そもそもこの町が誰かの夢の中なのか。
一人の手によって創られ
全てが消える瞬間もその一人の気まぐれしだい。
「、、、どうして創ったんだ。
好きな時に気持ち一つで全てを消せるなんて勝手な話しだな。
ここで生きてる−」
生きているという言葉が正しいのか迷い、瑞樹は言葉に詰まった。
「、、、生きている、ここで。気まぐれで壊したりしない。
ただ、守ろうとして時々疲れてしまうのよ。
箱庭には創り手である紫水の感情がある。強く、深く、、」
「創られた。その言葉の解釈がわからないよ」
考えようとしても疑問だけで答えは返らない。
いや、疑問にすらならず言葉だけが回る。
考え込んでしまった瑞樹の肩に、そっと紫水の手が乗った。
「紫水、、、」
「混乱させてごめんなさい。だけど信じて。
この箱庭を創った紫水には、あなたたちが必要。
紫水の想いは、あなたたちのものだから」
「、、、ここで生きているんだな、私達は」
「ええ、そうよ」
「わかった」
納得できたのかは、瑞樹自身にもわからない。
だが、この場所が好きか嫌いかと問われれば、好きだと答えられる。
今はそんな己を信じようと思った。
「また聴かせてくれるかい。その箱庭のこと」
「私も、また相手をしてもらえると嬉しいわ。それじゃ、またね」
「、、紫水」
「、、、、何」
「いや、、、何でもない。また」
「ごちそうさま」
黒地に鮮やかな薔薇のドレスが翻り、紫水は店を後にした。瑞樹は通りに出て空を見上げる。
「、、、この町も悪いところじゃないさ。私は何を言いたかったんだろう」
人々が行きかう、いつもと変わらないキエヌの風景。その中に、瑞樹は紫水の残像を追っていた。