もの云わぬ人形の言霊


          蒼い湖のほとりに建つ洋館に、元は生きた人間だった人形が住むという。
          彼女は突然口を閉ざし、人の声をきかなくなり
          ついには、ただそこにあり続ける人形になってしまった。
          誰も何も知らない。残されたものは、宛先のない手紙だけ、、、、、。


       いつからだろう。
       あなたの「おまえなら頑張れる」が、ひどく重たいものになったのは。
       いつも同じ笑顔で励ましてくれた。いつも言ってくれた。
       「君なら頑張れる。だから頑張れ」
       でも、知ってた?気づいてた?
       その言葉を聞くたびに、私はひどく息苦しくなることを。
       頑張らなきゃいけない。
       その思いが脅迫にも似てしまっていたことを。


       あなたはいつだって前をみていた。
       走り続けて、頑張り続けて、止まろうとはしなかった。
       それを苦しいとは言わなかったね。
       諦めたくない、振り返ることはしたくない
       進むしかできないから、そう言っていた。

       でも、あなたと私は違う人間。
       あなたにできることすべて、私にもできるわけじゃない。
       「僕にできるんだから、君にだってできる」
       その言葉を心の中で否定していた。


       立ち止まって休むことをあなたは許してくれなかった。
       私はもう疲れてしまったのです。
       頑張ることに。頑張り続けることに。
       何もせずにただ漂っていたいと望んでいる。
       それが今の私なのです。


       あなたに会って「頑張れ」といわれるのが怖い。


       そのうち私は、あなたの前では言葉が少なくなった。
       あなたになら話せたことも
       「頑張れ」が聞きたくなくて言わなくなった。
       そして話せる相手が見つからなくなってしまった。

       でもあなたは
       それすらも自分の解釈で結論をだしてしまった。
       「最近あまり話さなくなったけど、頑張ってるみたいだね。
       君ならできるって、信じてるよ。大丈夫、君は強い人だから」

       この言葉がどれほどの絶望だったか
       どれほど哀しかったか。
       きっとそれを告げても、あなたはその理由に気づかずに
       不思議そうな顔をみせるよね。
       でも、この言葉を聞いたとき思ってしまった。
       あなたはきっと
       私が望んでいるものを与えることはできない人なのだと。 

       これはきっと私の我侭。
       あなたを責めてるわけじゃない。
       あなたの励ましは純粋すぎて、あたしには強すぎただけ。
       だからあなたに「今までありがとう」と言える。
       でも、もう会えない。

       あなたに話していたことは誰にも言えなかったこと。
       身近いる人であればあるほど、返ってくる言葉が怖くて言えなかった。

       そして気がつくと、私は夜の闇を見つめていた。
       あなたを忘れるために。
       あなたとの出来事を、この水底に沈めて封印をかけるために。

       「あの人」が初めて目の前に現れたのは
       いつのことだったのだろう。
       いつのまにか部屋にいて
       眠っているあいだにいなくなってしまう。
       揺れる水面のような穏やかな声で私の名をよんだ。

       漆黒の闇のような黒髪。
       ルビーのような紅い瞳。
       夜を身に纏ったような人。

       人ではないのかもしれない。おそらく人ではない。
       それでも「あの人」の腕の中は暖かい。

       「あの人」は私に眠る場所をくれた。
       「あなた」が許してくれなかったことを許してくれた。
       泣くことを、休むことを、眠ることを。

       「あの人」に逢うとすべてを忘れてしまう。
       それがとても心地いい。

       「あの人」だけを見ていたい。
       「あの人」だけの声がききたい。
       「あの人」だけとの記憶しかいらない。

       「あの人」についていく。
       「あの人」のいる場所がたとえあの水底でも
       「あの人」との永遠ならば
       それがきっと私が求めているものだから。

       もしこの手紙を読む人があったなら、伝えてください。
       「あの人」と共にいくことで私がどう変わろうと
       それは私が望んだ結果であることを。
       私にとっての幸せの形であることを。


          「あなた」も「あの人」もすべては彼女の妄想だったと人々はいう。
          あるいは精神の病だったとも。
          どのみち確かめる術はないのだし、本人が望んだ結果ならそれでいいのだと。

          人であったころの彼女を知る者がいなくなっても彼女はそこに在り続けた。
          館は彼女を守るかのように決して朽ちることがない。
          館が守り、湖が抱くその場所は今も時の狭間で夜を待つ。
          彼女が待つその人を、送りとどけるために。
          彼女が望み、手にいれたもの、すなわち「永遠」

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