蒼い月の物語


中央都市キエヌの空は夕刻の茜色。

町を貫く大通りと噴水広場を美しく染めていた。

教会を預かる神父の沙夜は、日課である掃除をしながら一人の人物に目を向けた。

(ずっと一人だな、、、、。どうしたんだろう)

真珠色の真っ直ぐ伸びた髪。その相手はベンチに座ったまま行き交う人を眺めていた。

初めは待ち合わせかと思ったのだが、誰かを捜しているといった様子はない。

ただ、そこに居るだけなのだ。

スーツを折り目正しく着ている姿からは、宿無しの浮浪者とは思えないのだが
荷物らしいものを何一つ持っていなかった。

(突発的な喧嘩でもしたんだろうか。帰るに帰れなくて、、、)

沙夜は静かに声をかけた。

「あの」

「私ですか?」

アイスブルーの瞳が見返す。

「私、ここの教会を預かる沙夜といいます。ずっとお一人だからどうしたのかと思って。
 待ち合わせですか?」

「いえ、、、そうでは」

視線が落ちた。

整理の出来ない、何かを抱えているのではないか。沙夜はそう感じた。

だから、人にまぎれて独りになっている。それが何かはわからないけれど。

「もし、話して楽になるのなら聞きますよ」

「、、、、、」

「私からは何も言いません。本当に聞くだけです。、、、、お名前だけでも」

「蒼月、、、と」

知らない相手だから、話せるのかもしれない。

浮かんだ言葉を、ただそのまま。

「少しだけ、お時間いただけますか」

「ええ。どうぞ」

教会に入る蒼月を、同じ真珠色の長い巻き毛の女性が見送った。


部屋で出されたお茶を両手で包む。人肌の温かさがゆっくりと伝わった。

沙夜は蒼月の言葉を待った。

「、、、、どうすればいいのか、どうしたいのか。その答えが正反対だったらどちらを選びますか?」

蒼月の問いかけに、沙夜は思いを巡らせる。そして、逆に問いかけた。

「あなたが、その選択をしなければならない状況なんですか?」

「いえ、、、私自身ではありません。もう、、終わっていることです」

「あなたの大切な人が、その選択をしなければならなかったのですね」

「、、、、、どうすればいいのか、どうしたいのか。
 その狭間で考えて迷って、したいほうの答えを選んだ。
 けれど、叶いませんでした。
 状況としては、叶わなくてよかったのかもしれない。
 ただ、感情のほうが追いつかなくて、、、、その声が離れないんです。
 私は、、、、逃げてきた」

大切な人。それは間違っていないのだと思った。大切だから、、、居られない。

「、、、、2つの問いが同じ答えになれば、迷うことはない。
 けれど、同じにはならないものですね。私は、したいほうの答えを選んだこと間違っていないと思いますよ」

「、、、、叶わなかったことも?」

「ええ。間違っていない。それはあなた自身がわかっているはずです」

状況として、叶わないほうがよかった。それは、蒼月の答えなのだ。

「物事には、叶えるのにふさわしい時がある。今はまだ、その時ではなかったんですよ。
 だから、したいほうの答えを選んでそのために努力をしても、止めてくれる誰かがいた。
 勿論、願いが叶わなかったことは悔しいし、悲しいでしょう。
 けれど、願いを叶えるのに最も適した時は、きっときます。
 その時がくれば、一番いい形で願いは叶うはずだから。
 大切で、叶えたい願いだからこそ、一番いい形で実現してください。
 止めてくれた人も、きっとそう願っているはず」

「、、、、、、ふさわしい時がくる」

「他者の感情を真剣に受け止めることは、自分で思うより重労働ですからね。
 逃げてもいいんですよ。また、帰ればいい」

「私は、、、あの場所にいてもいいんだろうか」

「大切な人がいるのでしょう?自分が辛くなるくらい、その声を真剣に受け止めている」

特別な一人にはなるまいと思っていた。その相手にとって、自分は大切な仲間の中の一人だと。

だが、違う形を望んでもいいのだろうか。生み出されたあの場所で。

空は、いつのまにかビロードの夜に変わっていた。

「こんな時間か。鐘を鳴らしてきますので失礼」

沙夜は席を立ち、部屋に蒼月一人残った。

「大切な人、、、、そうですね」

この手が届くところにいる。それを望んでくれた相手に、手を重ねるだけでいいのだ。

「ありがとうございました。神父様」


「、、、戻る気になったかな」

鐘突き場所から教会を出る蒼月を見送り、沙夜は鐘を鳴らした。キエヌの空に、一際澄んだ音が鳴り響いていった。


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